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全132件の内、新着の記事から20件ずつ表示します。 1  2  3  4  5  6  7  |  《前のページ |  次のページ》 

ヴォーリス

 投稿者:mirutake  投稿日:2009年 6月21日(日)00時56分56秒
  ヴォーリス展見てきました。
写真も小さいし、見せ場のポイントを作ってないし、小粒の建築家と言うことにしても、展示が良くなかったです。写真の焼きが悪くて、パンフの方がやはり印刷ですので注意して焼いています。
特にコルビジェ展から始まった実物展示が、今回もあったのですが、ポイントが押さえられておらず、がっかりでした。
それはヴォーリスの別荘なんですが、外壁の下見板張りが柱の面落ちで張られ、柱が縦に見えていて、実物ではあり得ない状態でした。
内部は床板が現在のきれいに仕上げたフローリングのようで、つるつるで、壁の仕上げなし薄板とあまりに材質感が違いすぎて、どうしてこういう時代考証なのか理解に苦しみます。また2段ベットの作りもあり得ない簡易工事で、これは私の日曜大工仕事でしょう、と言うものでした。これは大工ではなく、舞台の大道具さんの仕様じゃないですかね。
また内壁は縦の羽目板の押さえ縁が目地からずれていたり、付鴨居(内法材)の上と下で縦押え縁が大きくずれていたり、これは写真を見るとどうも現場がそうなっているようでしたが。
おまけに天井が一部しか付いていなくて、美術館の会場の天井になっているという中途半端なもの。これではせっかくの木造小部屋の空間感覚が味わえないのでした。どうしてこんな中途半端なことしているんでしょう、理解に苦しむ。

もっともひどかったのは、「ヴォーリスの階段」でした。
ヴォーリスが優しい配慮で、踏み面の深い、滑らない材質と、柔らかく握りやすい手すり、と解説にはあるのですが、そこにある4段くらいの階段は「移設」したものではなく、現在の設計の階段なのです。踏み面はニードルパンチカーペット、手すりは50角位の角パイプに塗装ですよ、これがなんで「ヴォーリス」の階段なんですか。実物を「移設」または「再現」しない限り「ヴォーリス」の階段ではないでしょ。それは現在の技術の蹴上げ踏み面の上りやすい階段でしかないんですよ。
かつて実物模型の走り、コルビュジェ展でユニテ・ダビタシオンのワンユニットを再現したとき、階段は移設で持ってきたと言っておりました。その鉄梁の三角断面や踏み心地は本物なのだからすばらしい体験でした。こういう本格的な配慮がないのですよ。あまりに安易です。

会場の最後にカタログの方が写真の焼きも良く、内部の小屋組などよく見えるものでしたので、購入してきました。
1908年(28)から1946年(66)頃まで活躍したのでした。
様式の建築から近代初期の装飾の時代を生きた人と読みました。その時代なりのスタイルを素直になぞってきたという作風と感じました。

神戸女学院1933(53)図書館2階の閲覧室の装飾をじっと見ていると、可愛らしく見えていたものが、ぞっとしてきそうでした。やっぱりチャペルの彫りの深いアーチから光が差してきているのがすばらしいですね。同じようなデザインのチャペルを何回か遣っていて、これが一番光の差し方が劇的です。
大丸大阪心斎橋店1933(53)のアールデコのエレベーターホールの堀の深さも、装飾を取ればチェコキュビスムに通じるものを感じました。
大同生命ビルディング1925(45)の螺旋階段の石張り手摺りもきれいです。これはとても急な階段ですが。
 

遠藤新の自己意識

 投稿者:mirutake  投稿日:2009年 6月 1日(月)23時01分12秒
  「ライトのDNA」と称して遠藤新のひばりヶ丘自由学園の見学会があった。
初めてでもあり、いろいろおもしろかったが、最大の収穫は、ライト風という言い方に引っかかっている自由学園建物管理者と、自由学園の周りの住宅地でのライト風も含めて、ここにライト風の町ができていることをもっと積極的に評価したいと思っている、ライト風をメーカーハウスで遣っていた人、と言う遠藤新に於けるライト風のをどう受け止めて行くのかという問いの構図でした。

遠藤新は甲子園ホテル(1930)とかあるのだから、ライト風に造形することにマイナスイメージを持っていなかったと思う。もっと言えば、昭和初期の段階での建築家の個性というのは、その先生の辰野金吾が東京駅(1914)で、様式建築のまねをまだ一生懸命やってる段階なのだから、個性豊かな近代建築の巨匠=ライトの真似をやるのは、辰野よりはずっと進んだ段階にいると思っていたのだと思う。自分なりに少しライト風を変えたりして、十分個性を遣れていると思っていた時代と言うことではないか。

明治大正昭和初期と続く時代は、ヨーロッパからの10年遅れの表現(様式)の輸入の時代であったという、建築評論家藤井正一郎の指摘がすでに40年も前にある。輸入様式(輸入表現)が建築家達の先端の表現意識であり、個性であると思っていたと言うこと。そういう時代の制約の中に、建築家達の個性の発露があったと言うべきなのだ。それはいつの時代にも、どんなに現在が自由になったと見えても、個性は時代的な制約の中にあることを意味している。

蛇足を加えるなら、丹下健三が代々木屋内体育館を遣ったのが大変な個性の持ち主と思われているが、国際社会に日本がオリンピックという大舞台で国家の力を示さねばならぬと言う、大時代意識を発露せねばならぬと言う時代的な背景(宿命・限界)を抱えていたと言うことから見たら、自由な個性とはいえないと言うことでもあった。
建築家の自由な個性というのは、70年代に始まると言われている。伊東豊雄、長谷川逸子らに始まる、コルビュジェ=サボワ邸の壁構成による空間意識の成立に見る(越後島)ところから出発し直したと言われる。凝集された内部空間意識はここからの出発による。ここでもまた時代が建築家達によって、その時代時代の要請に応えてきた積み重ねによっているのであり、現在が自由な個性ということではなく、現在もまた時代制約の中に、日本の建築家達が、日本的と言うことを全く考えないで、日本の建築家が作るものだから日本的であり世界水準で在る(伊東豊雄と思う)という、建築グローバル化を迎えた時代ということになる。
個性(自己意識)というのは時代の制約の中にしかその大きさや、内容という質を実現しえない限界の中にあると言うことだと思う。現在が自由と言うことではないと思う。

だから遠藤新の時代の個性(自己意識)としての表現は、前段にも言ったが、個性豊かな近代建築家ライトの様式を踏襲する(真似る)ところにあり、と考えていたのだと思う。
そして遠藤新の独自の個性というのは、初等部食堂(1931)に見るように、瓦屋根を乗せた和小屋を組むところに、いくらそれが一番安い、当時としてはどこにでも在る一番得やすい仕様と見えても、ライト風を旨とする全体構成の中に選択して行くとき、それは遠藤新の一つの個性と言うしかない。なぜならその他の選択もあり得たのだし、瓦と和小屋もまた自由学園の様式として守られて行くのだから。

建築設計界にはどうしてもこの真似という言い方がトラウマになっていて、建築の創作活動における真似というのをうまく論理の中に引けないまま、密輸入という視点でマイナス評価しかできないところに今もあると思う。けれど時代の制約として真似ることが自己意識の発露としてあったことを確認して行こうと思う。
 

(無題)

 投稿者:山本 紀子  投稿日:2009年 5月10日(日)18時47分25秒
  山本 紀子▽★
☆★☆━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆
 

茅野市民館

 投稿者:seq  投稿日:2009年 3月13日(金)23時20分24秒
  はじめまして。茅野市民館のことを調べていて、寄らせて頂きました。
写真等でこの建築のユニークさがよくわかりました。
茅野市のロケーションを、たいへん大事にした建築なんですね。
ありがとうございました。seq

http://seqtaxus.exblog.jp/

 

世田谷区民会館追加

 投稿者:mirutake  投稿日:2009年 3月 2日(月)02時22分10秒
  世田谷区民会館の内部写真が撮れなかったので、新建築195907から転載追加しました。「けんちく探訪」群馬音楽センターの「折板」の続きの意味があるので、文でも取り上げました。

前川さんの「柱梁構成のデザイン(寝殿造り?)」から、壁に意味を見出すところ、そしてレンガタイルの完全な壁構成に移っていった、それは時代の変遷でもあったが見えてきたように思えました。

柱梁構成のデザインと言うのは逓信スタイルの丸柱角梁に壁を付けてるから、丹下の旧東京都庁舎や香川県庁舎の柱梁構成、林昌二の旧掛川庁舎、谷口吉郎の東京国立博物館東洋館等のことで、日本建築の寝殿造りから来ている気がする。折板壁で何かできるという追求は多くの建築家が臨んでいたわけで、これと同じように柱梁構成でも何かできるという追求を建築家達がしていたと言うことを感じた。

ただしこの日本的なもののコンクリートの追求があっために、また日本の建築家が世界性の表現を日本的な物に求めために、西洋近代建築が壁構成として始まったのに、日本の建築家が壁に行くのが遅れてしまったと言うことではないかと気付いたのだが。

現代建築の冒険  中公新書 「形」で考える 日本1930-2000   越後島 研一著

この本で著者は日本的な横に外部に広がる内部空間をやっていたから、70年代からサボワ邸のような内部に包まれた空間意識をやり直し始めたんだと言うことを言っていて、同じことのように思えたのだが。
 

明治村の「帝国ホテル」について

 投稿者:aibo2  投稿日:2008年12月17日(水)15時04分8秒
   明治村の「帝国ホテル」を公開してしまったのですね!!・うーむっ・激写資料としてはふさわしく感じませんでした。
岐阜の駅前の宿で前日から泊まって、帰る日の時間で明治村に向かいました。全体で4時間半ほどは居たことになります。最初に帝国ホテル(入り口のすぐでした)だったので快調に見始めたのですが、面白さが見えてこない。枚数を重ねるごとに迷いが増えて来るのが感じられる。濃いディテールや破綻詳細の建物は目が廻るくらい方向性を失い収拾がつかない。でも、ここでは濃い方向のディテールであろうはずなのに、時間が経つほど意欲が減っていくのを感じる。260カット程度を得たのに留まり、満足に程遠く<もやもや>感は気持ち悪く感じた。ここより前に「瞑想の森」に立ち寄ったが、そこでは3倍の量のカット数となっていた。ここでは比較すればパーツの濃さと素材の豊富さでは相当の枚数は予想出来るはずだった。

まあ、「見た・撮った?」というところで、他の施設も見ておこうで移動した。他の施設も興味は沸くがどこかで覚めていくのはどうしたものか。現地では気づかなかったが、あとであのライトの「帝国ホテル」が本物としてそこに存在するという妄想から離れられなかった。・・(そうだ)・・その過渡の期待は移転した時に壊れてしまったのだろう。
 特に建物の中に入ると違和感を得た。
天井・・・ボード?・プレーンな白??・床・・・薄いタイルカーペットしかも赤。タイルの床?・・・あれれ・・木のフローリング??割付は??・・隙間の開いた彫刻のモールディング?この程度?・フロントの設えと扱いは無いでしょうよ(物置扱い)。何がオリジナルでどこを変えたのか・・すべてが薄っぺらに見えてくる。石自体もコンクリートか準ずるものを使っている。後で、過去の写真と比較するけど、どこまでをオリジナルとするのか??・・・そんなことよりも・・・

真面目にこの施設を受け入れようとしたのが間違いであった。それはそうで、これだけのものを移設し組み立て、かつ、維持していくのだ。調達出来ずに素材の代替品だったり経済事情で安い材料になることもある・取りあえずの用立てもある。だからこそ、そのことを明確に判るようにすべきでしょう(当時の写真が併設してあり、判るようにはなっていたようだけれど混乱して再構成ができなかった・それほどの奇妙さ)。違和感はそこにある。他の施設もすべてそうで「重文」という「お触れ」がある建物なんて、どうなのかなあ・・・・?「重文」の建物に警備用の配線を<堂々と>展示をして戴けていた(努力したぁ?)。

大きな勘違いの幻想は、移転してしまった段階で、そこにはそれぞれの歴史を持った原寸大の模型なのだと認識しないと無理が発生するのだと、帰ってからしばらくして気づいた。移転保存というのは以前からどんなものかと考えていたけど極力避けられないものだろうか。移設だったとしても縁も所縁も無い土地には置いて欲しくないよね。
最古の木造建築・奈良の法隆寺だって千数百年という時を経たとしても部材は残っていてもほとんどは後世に部材は取り替えられている。どこまでがオリジナルなのかは飽くまで継承と推察でしかない。肝心なのはその土地に必要とされて根付いて、変わる記憶を留める努力をされて生き続ける建物なのだろう。そこにあるから貴重なのだ。

明治村の「帝国ホテル」は空間を実体験する施設(他もそうだが)で、ディテール自体も余り近寄らないで構成が判る距離で鑑賞に留める程度にしたほうが無理ないのではないかと思えた。奇しくも、mirutake氏は住吉の長屋を話題にしていた、これと同じ程度の体験を得られると思えば良かったのだ。写真を撮ることよりも空間の実体験の場として優先してその上で写真を撮っていれば違和感はなかったのだろう。

これまで、色々な建物を見てきているが、特に美術館・博物館という施設は一般の方々は目的地に着いたら一直線に発券場に向かい<そそくさ>と内部に入っていく。そして<鑑賞・見学>が終わったら、振り返りもせず<そそくさ>と帰って行く。建物に興味を向ける余裕も良否も批判もそこにはほとんど無い。そのような小文化の中では見せるということを与えられた明治村といった博物館施設で始めて建物を<見て・体験>する対象なのだと経験することになる。身近な建物ですら経験することも無いところでこのような難しい建物を見ることで身近な建物に意味合いを持って視線を戻すことが出来るのかな。

本年(2008年)も残り少なくなりました。「けんちく探訪」「けんちく激写資料室」は当初から10年は経っていませんか。最初がよく判りませんが、そうならば継続・更新されていることに改めて敬意を表します。「けんちく激写資料室」はカウンターを見ると地味に10万を超えそうですけど年内は無理みたいですね。動きを時折見ると休日よりも平日の方がより多く廻っている印象があり、推測ですが仕事寄りの鑑賞に使われているような気がします。ここのところ、けんちく体験には新しい動きを見かける。「セカンドライフ」「Photosynth」・「グーグルのストリートビュー」といった疑似体験の構築方法だ。いずれも鑑賞に堪えられるレベルとなると実際には相当な手間隙を要したり・別世界の技術に入り込むのだろう。今は単なる大量の写真の公開であっても費用と時間は遊びとしては贅沢で忍耐を要すものだ。今後10年という時では、どんなことになっているだろうか。私自身はそれらを少し念頭に置いて、今後はそんなに長くはないけんちく鑑賞巡りでどんな物が記録できるかという想い、また、一年が過ぎます!?
 

「安藤忠雄建築展」

 投稿者:*  投稿日:2008年12月 8日(月)01時42分48秒
  住吉の長屋実大模型写真。
 

感想

 投稿者:mirutake  投稿日:2008年12月 6日(土)02時40分9秒
  ギャラリー間 安藤忠雄展 行ってきました。
そう住吉の長屋(独立住宅)の実大模型を見に行きました。
かつて20年前に感想文で取り上げました。中庭というこの規模では得られないものを通路が外部でも良いと見なせるなら、得られると考えた。計画の白眉だと。その後多くの建築に、住宅に、影響を与えたことか。
今考えてもこの思いは変わらない。この実大模型を見て、こりゃーすざまじいなーと、そのすごさに改めて感じたものでした。

入口前に立つと、あーやっぱり玄関の彫り込みは小さいんだなーと感じ、打放しコンクリートの感じはあまり感じないまま早く内部をみたいと入ってゆく。
オーえらいところに作ったもんだ。これ敷居のカバーがじゃまになってよく感じれないが、玄関居間はめちゃ狭いなー。こんなに狭いんだ。図面じゃここまで狭いとは感じなかった。(7.4畳しかないんだよ。)中庭を見ると余計その比率が解る。圧倒的に中庭の比重が大きいことが実感されてしまって、この計画意識は、すざまじいなー、と思わずにはいられません。

中庭に入り上を見上げると光があふれています。こういう感じか。これはきっと現場の感じに近いんだろうなー、と思う。この光の庭を何よりも得たかったのか。独立住宅の本懐は庭だもんなー。庭がないのは住宅じゃないのだよ。
階段は上れないのか。ブリッジがコンクリートではなく、合板製じゃの上れないだろうなー。みんなで上がったら床が抜けるなー。手摺りのない階段はやはりすっきりしているなー。
食堂台所も狭いな。やれないことはないんだろうけど、それにしても収納というものが全くないのだ。近所に物置用に部屋を借りてるんじゃないか、とさえ思える。住んでいる人もすさまじいなー。
2階は一度外に出てから、住居の外側から見るようになっているが、展示室の階高の関係で、視点が高くなってしまっていた。視覚としてはこういうことだろうが、やっぱりあのデッキに上がれないと、あの上で空を満喫して、得難いものが得られたのか、実感したいところでした。

やはり2階もあがれて、住宅の全体を歩き回らないと、こんな感想で終わっちゃうなー。

勿論このような企画の意義は大きいと思います。続いて有名住宅を再現してもらえることを期待したいですね。
明治村のような所で、有名住宅の再現があっても良いんじゃないでしょうか。

          20081203

フランク・ロイド・ライトの帝国ホテルをアップしました。
これだけアップの写真を見せられると、すごいなー、ここまで建築家が大谷石に彫り込む模様を、原寸図で書き込んでいったのか!と感嘆するばかりです。遠藤新も書いたのでしょうが。石の模様に目を奪われるばかりですが、この天井が白い漆喰(ボードペンキかもしれませんが)であることが近代であることを決定しています。そこから空間構成に意識が行きます。

低い天井高さの玄関から、三層吹抜けのホールとなっていて、それぞれの階で外光の入り方が違うので、明るさが違っており、複雑さを感じさせます。それは正面と背後の三層の通路だけでなく、いろんな空間の抜けがあるようです。実物を見ていないのでどうなっているのか。この劇的空間の展開を目指したことは容易に感じられます。この体験だけでもかなり面白いと感じさせるのですが、この向こうに大食堂があって、もっと劇的空間の展開があるだと言うことなのです。そこまで残さなきゃ駄目なんじゃないの、と言うことなんでしょうね。現場を撮っている人が盛んにいってました。なんか面白くないんだよね。なんか違うじゃねーか思いながら、なかなか撮影枚数が進まないんだ、と言うことでした。これだけ撮ってきてくれれば鑑賞者としては満足で、それでも是非行ってみたい物件になりました。

光の柱は夜間の方がめっちゃおも白いはずと思いました。
 

現代建築の意味を求めて

 投稿者:mirutake  投稿日:2008年11月 8日(土)18時03分56秒
  karazさん いつものように、大変遅くなりました。

現代建築の原点から説明してゆくのが解りやすくなる考えましたので、モダニズム建築の起こりから「簡単」に説明します。
1900年代に始まる建築の美の考え方で、工場生産が始まったこと、コンクリートや鉄という新しい構造が登場したことに呼応して、時代にあった建築を創造してゆこうと始まりました。これ以前はここで話題になりました宗教建築や、公共の施設は様式(歴史)建築と言われるものです。ゴシック建築とか、折衷様式とか、新古典主義様式と呼ばれるものでした。新しい建築の動きはそれらの「様式」建築から「装飾」を取ったところで建築の美を考えてゆこうとするものです。それは面構成による建築とか、幾何学形態による建築とか、私の言い方ですと「絵画になりたかった建築」と言うものです。

様式(歴史)建築には装飾がつきものです。これを「止めた」建築の要素を、面の構成によって美が成り立つのではないか、こういうところから始まっていますので、現在でも装飾を付けて建築を創ることが、建築の先端の美意識からは安易な方法として=避けたところで成立する美を見つけようとしているのです。でもモダニズム建築も100年もやっていますから、理念の限りで創作を切り開いていくことに疲れてきていて、建築のデザインが安易に装飾的に走ることが普通に見られるようになってしまっています。いつでもそうなのでしょうが、先端の建築家によるしかないと言う困難なところを書いています。ですから「けんちく探訪」では先端の建築をメインに鑑賞してゆく場と言うことになっています。

現在の宗教建築にあっても、歴史的なものから特別な意味というものを持って造られているでしょう。けれど「けんちく探訪」と言うこの場は、現代建築デザインの在り方に向かってだけ評価される。そして宗教建築が現在に伝える高貴な空間「小聖堂」を体験したいと、そのために行きました。

モダニズム建築にとって、このように装飾というのはマイナスに特別な意味があります。単純なのに密度の高い空間を求めているということでしょうか。
けんちく探訪では抽象(モダニズム)建築が単純な幾何学形態から、その抽象性の意味を求めて格闘していると言うところまで書かれています。
 

探訪を拝見しました

 投稿者:karaz  投稿日:2008年10月 8日(水)18時26分3秒
  はじめまして。
色々な建築物の写真、楽しく拝見させて頂きました。

ただ、聖イグナチオ教会について、1つだけ。
掲載されてから時間も経っているので、既にご存知かもしれませんが、
天井の花は、単なる装飾ではなく、薔薇窓です。
カトリックの教会では、ごく一般的なもので、また宗教的な意味合いを含んだものでもあります。意味合いをお知りになれば、天井にある理由、花である理由もお分かりになるのではないかと思います。
差し出がましいとは思いますが、一言申し上げさせていただきました。
 

十和田・再び

 投稿者:aibo2  投稿日:2008年 9月10日(水)23時02分41秒
  新潟県新発田でレーモンドの教会を見てきた。狭い判りづらい路地の奥に見つけた。引きの取りにくい敷地でいっぱいの角度で全貌を捕らえられないかいろいろ試した。ただ、周囲とは不釣り合いに、正面は思い切り開けている。広い道路をほんの数メートルのところで構築中であった。教会は基部をレンガ積みとし、上部を木造で架構は丸太材を金物で固定するものだった。道路は15m程はあろうかそれぞれ一車線と歩道は整備されるのだろう。直に直面するであろう、道路の振動は建物にどんな刺激を与えるのだろう。計画には反対があったようだが実行されてしまった。

この夏は新潟・山形・秋田・青森と昨年に取りこぼしたところを拾っていくルートを考えた。
雪のまちみらい館・・・・青木淳/1999
カトリック新発田教会・・アントニン・レイモンド/1966/8
関川宿 渡邊邸・・・・・・国指定重要文化財-近くに関川村歴史資料館/香山壽夫を見るも時間の調整に失敗し再来を記す。
寒河江市役所・・・・・・黒川紀章/1967-出雲の庁舎で見たテンション材と同じ物でしょうか?まだまだ現役でいてください。
金山町火葬場・・・・・・益子義弘/1995
金山町立明安小学校・・・小沢明/2002-良い物が見ることができました。
秋乃宮博物館・・・・・・情熱の油谷コレクション/必見
秋の宮温泉_稲住温泉・・白井晟一/一泊することができました。地震の影響はありません。
栗駒の地震後・・・・岩手・宮城内陸地震のその後を体感。大きく揺れたなと各所に見られました。
角館の町並み・・・・武家屋敷。大村美術館/大江匡を見るも「「お仕着せの無愛想な注意書きに立腹でほとんど無視」」注意書きを写真に撮ってくれば良かったな。
角館伝承館・・・・・・・大江宏/1978---?
乳頭温泉_黒湯温泉・・・湯治場/開湯は延宝2年(1674年)頃/湯はすばらしい
JR田沢湖駅・・・・・・・坂茂/1997-設計の混迷はJRに?
康楽館・・・国指定重要文化財/日本最古の木造芝居小屋/1910-大雨の中で外観のみを見る。栄華の継続を再来としよう。
酸ヶ湯温泉・・・湯治場/名物は千人風呂/1684年(貞享元年)の開湯/建物と千人風呂の巨大さに別世界を見た。
十和田市現代美術館・・・西沢立衛/2008-今後の展開を期待。まずはこの冬の雪は・・

結果的には5泊6日でテントは2泊・宿3泊とした。後半は逃げ道のない雨模様が予想され早々と宿手配で温泉三昧に浸ろうと決め込んだ。

この地方は、建物を見て回るにはそれぞれの距離が遠く、走りと景観の比重を重くしないと1日の調整が難しい。唯一、雨に阻まれ「康楽館」は、見るというより通過するしかすべがなかったことを除くと想定のルートをこなせた。その後に続く大雨のはしりにぶつかりブナ林の景観を楽しむというテーマも大「雨」までは想定できなかった。とはいえ、奥入瀬での底から突き上げるような川の濁流と穏やかな川のように変化した道路を走行する「予定」には組み込めないが、「予定」できないからの経験は、雨でも濃いブナ林の緑と共に忘れられない。紅葉の時期に来たいものだ。

  福生市庁舎は、いつの間にか文章が増えている。村野藤吾的というのは同意・・いつも見慣れている赤いカラコンは「芝の養生」という「決まりのない名目」の犠牲でさらされている。次は、簡易な柵の登場となるのかなあ?内部については、実際に見てみないと判りませんねえ・・平日がより良いとなると行くのは難しいですね。
 グラントワもホールのホワイエの吹き抜けとホールの巨大なコンクリートの固まりのボリュームは私には写真では表現できません。どのように撮ったら良いかを思考してみましたが再現とは、ほど遠い。見てきた本人で撮った本人でも、これは違うと言ってしまうほどだ。・・・・ぜひご自身でご覧下さい。また、ホールの内部は見ることが出来ませんでした。どなたか多量な写真で再現してもらえませんでしょうか。現場監理と施工は相当大変だったでしょうね。

 大きなボリュームはグーグルのストリートビューのような技術やケンプラッツで副都心線渋谷駅で「グルグル」を掲載していたが、同様なことであれば、再現できるかなと思う。とわいえ、それ相当の撮影の時間とその後の時間とは必要になってしまう。でもこれはと思うものは意識していこうかな。でも、三脚とか使うことになるし・・・・気楽に撮れなくなる・・・・うーん・・
 

グラントワ

 投稿者:とも  投稿日:2008年 9月 8日(月)01時06分49秒
  グラントワの写真がアップされましたね。
僕もこの建築は見学に行きました。「新建築」で見ると、小さな町にこれほど巨大な建築が!とびっくりするぐらいですが、実際に行ってみると、それほどの巨大さを感じることはなく、分棟式にしたことが生きているように思いました。

内藤廣氏の建築の中でもこの建築はトップクラスに良い建築だと思います。この地域の瓦を使いながら、単純な屋根に使うだけでなく、外装材のカーテンウォールとしたところは、地域の潜在的な材料・工法を用いながら、次世代につながっている、そんな印象を受けました。

しかもこの建築の素晴らしいところは、材料・工法を用いながらそれが美的レベルに到達しているところだと思います。天候や太陽の角度、みる人の位置が変化するにつれて表情を変えるその外装材は、他の建築では経験できない「ここだけの価値」を持っているように思いました。

後はここの関係者・利用者がこの建築を活き活きと使ってくれることを祈るだけです。

http://blog.livedoor.jp/sttts/

 

戦没学徒記念館・続

 投稿者:aibo2  投稿日:2008年 6月22日(日)21時13分39秒
  「「御霊」は経済の論理に乗らないのではないかと」そのとおりですね。精神性であるのなら作ってしまった人々は建物が朽ちていったとしても、少なくとも「魂の火」を個人でも灯し続けていれば、もしかしたら違った展開に移行していくのだろうと思います。精神の無い人々が経済の論理で作ったのでしょうから、理由にもならないことで放棄してしまったのでしょうね。結局、丹下さんが発表もしなかったことは、そんなことに起因していると考える昨今です。

これまで「四国」という地方の建築巡りでは1度までです。いくつかはmirutake氏が掲載しています。夏の休みを利用して行ったのですが「海のギャラリー」では、一人の見学者もなく、諸所でも取り立てて混み合うことも無く、追いまくられるような見学でした。夏の日の高い時期なのに閉館の時間が早いのには(16:30)がっかりでした。半端な時間では次に移ることも適わず、移動には時間が余るしで、時間制限のない風景を加えて調整ということになりました。まだ、元気なら訪れなければならないところなのですが、いつになるか・行けるのかですね。若いとは言えません・となるとどうなるかわかりません。

私にとっては、建築巡りは“無論”実体験をしたいためですが(しないと判らない・判るかどうかは別)魅力的な地方を味わいたいとも思っています。そんな考えで、職場である「日本一であろう建築巡り東京」は、ほとんどmirutake氏情報ばかりです。たぶん、それに続くであろう「大阪」も、今後は予定していません。可能ならそれぞれが発信人になって(自身も含めて)巨大な建築・風景のデータベースが構築できないかなと常に想像しています。数カットのデータベースのSITEであればいくつかあるのですが、追体験には程遠いですね。

「追随」とは上記の思いがあります。mirutake氏と私は職場が同じですので、常に情報交換が出来ます。無論、mirutake氏が同意すれば良いのでしょうが、HPにUPするだけでも結構な手間が掛かることでしょう。仕事との兼ね合いもあるし・・・・他にもやることあるし・・・・ブログの定期的な書き込みでも努力が必要です。

多くの情報を「無料」のネット上で得ています。そうなら、それに貢献するのもネット上ではないでしょうか。・・・と考えますがいかが?・・・

副都心線渋谷駅の開業日時の写真をUPします。苦手な「東京」ですので多くの情報がUPされるかはmirutake氏の考えのみですね。
 

>aibo2さま

 投稿者:とも  投稿日:2008年 6月13日(金)00時28分55秒
  早速丁寧なお返事、ありがとうございます。

「戦没学徒記念館」はどうにかして保存・再生することを考えられないのでしょうかね?確かに損傷もひどいですし、来館者も少ないでしょう。しかし「御霊」は経済の論理に乗らないのではないかと個人的には思います。

さて、僕のブログにも来ていただいたそうで、ありがとうございます。毎日、その日に考えたことや感じたこと、現場のことなどをつらつらと書いています。なかなか上手くことばにすることが出来ずに四苦八苦しています^^
「地方」ですが、四国です。四国の片田舎で設計しています。
建築ツアーには学生のころから行ってますが、仕事が忙しくなって行く機会が減ってはいるのですが、それに比例するように一回の建築ツアーでみる建築の数が減っています。極端な話、一日ひとつの建築しかみていません。ひとつの建築をじっくりみるようになりました。

ちなみに僕も2006年に「青森県立美術館」に行っているのですが、このサイトの写真に僕らしき姿が写っていました。日付を見ると微妙に日が合わないような気がするんですが・・・

「追随」とはどういう意味でしょうか?僕が建築ツアーで撮った写真を、このサイトで掲載してもらえる、という意味でしょうか?

http://blog.livedoor.jp/sttts/

 

戦没学徒記念館・とも さんへ

 投稿者:aibo2  投稿日:2008年 6月 7日(土)16時48分49秒
  ともさん 「戦没学徒記念館」への投稿を歓迎します。mirutake氏が「青年戦没者記念館」とタイトルを入れたのが何か意図があるのでしょうか。きっと何か意味があるのでしょうね?。

aibo2は2005年の夏に淡路島と四国を西側を中心にバイクにて建物と土地の風景に浸りたく廻ってきました。行ったところは過去の投稿に記してあります。「戦没学徒記念館」は初日に寝床となるキャンプ場を目指す途中に夕方の確認で訪れました。場所の確認とその建物の程度はどんなものかの事前確認とし改めて訪れるのに耐えられるかまでとしようと思っていました。見てからは、夕日の直前であったので撮影には適さないかなという想いは飛んで、その大胆な構成に確認までのつもりが写真を撮り続けてしまいました。夕日はモニュメントのうしろに落ちてきます。重なるとモニュメントは写真では黒くシルエットとして記録されます。日の落ちるのを確認してキャンプ場に駆け込んだのでした。

建物は、放置されているので傷みは「どんどん」進行しているのでしょう。閉鎖されたのは財政難と地震で損傷を受けたので・・・・という理由にもならないこじつけで放置されているのですね。そんな理由で御霊がどうのという施設を作ってしまういい加減さに「うんざり」という感想を得ました。再生の努力をされているようですが、世代の変わり目にある時期に方法を誤ると即座に取り壊しとなってしまうのは明らかです。精神の伝承を理由にならないこじつけで自身でつぶす愚挙を理解しているのでしょうか。私は、この施設に好感を得て・・そして建設の趣旨にも同意し(云々)・・永遠・・というのも伝承されているのなら・・応援していきたいですね。

地形を熟知し、相当なエスキースを経て設計されたように見れました。本来の玄関から入って構成をトレースできたら良かったのですが、半端な閉鎖によりショートカットのルートの見学となります。
翌日、キャンプ場を後に再び訪れましたが、朝日に照らされているのが何か違和感を得てしまいました。夕日の時の興奮とは違ってさめた感情を覚え明るい環境では撮るのを止めてしまいました。
廃墟ではあるのだけど、自己責任で見るのは構わないとしているのは英断です。どなたも事故・事件を起こさないように望みます。本当に閉鎖されないように最小の安全確保と見学者の自制が続きますように・・・・。

ともさんは「地方」で設計の仕事をされているようですね。「地方」という「地名」が理解できないのですが、どの辺りなのでしょうか?貴ブログを見させていただきました。少しの拝見ですが、「地方」は何となく名古屋と大阪の間、辺りではないのかと想像しています。当たりでしょうか???。更新の度合いはすばらしいですね。いろいろな考察・日々思うことを仕事の合間に行うのは心の余裕がないと潰れてしまうと思っています。私も同業でかつ相当に長いのです。この仕事は限界はないのでしょうね。未だに行きつく先は判りません。

「さいたま」市という「地方」から、まめに飛び出して知らない道をトレースし地形の妙を確認して「地方」となる街・村を目指し街道や・自然や・遺跡・好感を持てる建物を後の自己確認のために撮りまくります。それは、時間と日の高さと寝床の確保との競争です。辛い選択をテントの中で計画し、いくつかのパターンを保険として、当然の日の出と共に行動するのです。遠方は、長の休みがとれる5月の連休とお盆の休みが中心なので、季節の画像は決まってきます。「地方」とされるところの方々の季節ごとの情報発信が常態化されるとより楽しめるのですが未だ巡り合えません。
次回は、十和田の美術館を中心とした北東北を考えています。夏だ・・

mirutake氏は実践しています。無料での情報としては現状の最善とは思われませんか。限られた通常の誌面から得られる以上にmirutake氏発信の情報からは、設計への勇気を得ている人々はいるはずです。そして「戦没学徒記念館」は現状の惨状を見せることで、幾何の再開の応援になるとも思います。

ともさん、追随しませんか?。私は多くを見たく、でも、時間が限られているのです。
 

初めて投稿します

 投稿者:とも  投稿日:2008年 6月 4日(水)11時27分43秒
  はじめまして。
ずいぶん前にこのサイトを見つけまして、お気に入りに入れてからマメにチェックしていますが、最近「戦没学徒記念館」が掲載されていて、僕もGWに行ったばかりなので思わず書き込みました。

ネットなんかでは有名だったようで、僕は全然知らなかったことと廃墟建築は初めてだったので、かなり期待していったんですが、その期待を裏切らない素晴らしい建築でした。
当日は残念ながら曇りだったことと、自分の写真の腕が悪くてイマイチな写真しか撮れなかったんですが、それでもこの建築の空間の素晴らしさは充分理解できました。

僕も結構建築ツアーには出かけているつもりだったんですが、このサイトを見ると「自分もまだまだだなぁ」と感じています。また、建築ツアーに出かける前には毎回このサイトをチェックさせてもらっています。これからも更新楽しみにしています。

http://blog.livedoor.jp/sttts/

 

山陰について・続

 投稿者:aibo2  投稿日:2008年 5月19日(月)01時39分43秒
   今回の山陰の建築巡りはまだ多くの見るべき物を残してきました。
はたして、見てきたものは正解だったのでしょうか。下記は候補として選択していた物で、すぐ脇を通ってきたのですがパスしてきました。もう一度行かないと潰すことは叶いません。・・・・時間は限られて情報と直感で選択するしかないですね。今後は、これまでのバランスでは山陽地方の瀬戸内方面なんだろうと思っています。さらに選択肢は増えて悩みは多くなるばかりだ。

下関市_しものせき水族館海響館 ・・・・・・日本設計
Running Green Project ・・・・・・・・・・・三分一博志
長門市_ルネッサ長門 ・・・・・・・・・・・山下設計
萩市__山口県立萩美術館・浦上記念館 ・・・丹下健三
    萩市民館 ・・・・・・・・・・・・・ 菊竹清訓
津和野町_森鴎外記念館 ・・・・・・・・・・宮本忠長
三隅町_三隅町立小学校 ・・・・・・・・・・高松伸
江津市_総合市民センター ・・・・・・・・・高松伸
    江津市庁舎 ・・・・・・・・・・・・ 吉阪隆正
仁摩町_仁摩サンドミュージアム ・・・・・・高松伸
川本町_かわもと音戯館 ・・・・・・・・・・新居千秋
出雲市_ビックハート出雲 ・・・・・・・・・小嶋一浩
    出雲大社神枯殿 ・・・・・・・・・・菊竹清訓
宍道町_モニュメントミュージアム来待ストーン 黒川雅之
松江市_くにびきメッセ ・・・・・・・・・・高松伸
    島根県立図書館 ・・・・・・・・・・ 菊竹清訓
境港市_メテオプラザ ・・・・・・・・・・・高松伸
    みなとさかい交流館 ・・・・・・・・高松伸
    境港シンフォニーガーデン ・・・・・高松伸
米子市_東光園 ・・・・・・・・・・・・・・菊竹清訓 DOCOMOMO100
    米子市公会堂 ・・・・・・・・・・・村野藤吾
倉吉市_倉吉市庁舎・・・・・・・・・・・・・丹下健三・岸田日出刀 1957年日本建築学会賞
津山市_津山文化センター ・・・・・・・・・川島甲士 DOCOMOMO100+15
    グラスハウス ・・・・・・・・・・・横河健
姫路市_姫路文学館 ・・・・・・・・・・・・安藤忠雄
    兵庫県立こどもの館 ・・・・・・・・安藤忠雄
    姫路市水道資料館 ・・・・・・・・・横内敏人
    筑紫の丘斎場 ・・・・・・・・・・・遠藤秀平
その他に各所の古い町並みと景観

改めて、並べると蒼々たる物件ですよね。でも、見ることはしませんでした。待っていても画像は手に入りそうもないので、いつの日か行くしかないのでしょうね。
 

建築について

 投稿者:J196  投稿日:2008年 5月15日(木)11時20分6秒
  このところ、ミャンマー、中国と大きな自然災害があり、本当に胸が痛みます。地球の鼓動も感じますし、表上でへばりつくように生きている人間が作る建築物を見ると、妙な表現ですが、人類を愛しいと感じます。aibo2さんもがんばっていますし、私も面白い写真が撮れたら投稿します。けんちく探訪ですから蟻塚とか?でもいいですよね。  

山陰の建築巡礼

 投稿者:aibo2  投稿日:2008年 5月 9日(金)21時47分1秒
   今年に入り、未だにどなたも書き込みありませんか。

 今回は中国地方の山陰を北上、ほぼ海沿いに施設や見るべきものがあるので、そんなにルートに悩むところではありません。ほとんど限られた人たちの設計ばかりでどんな因縁かを思案しましたが判りません。

歴史の重みも強烈で個性が強い地方です。

唐戸市場 ・・・・・・・・・・・・・・池原義郎 フェリーで朝5時について朝飯に有りつく。屋上の芝生はロケーションと共に必見。
安養寺大仏殿 ・・・・・・・・・・・・隈研吾 もっと解放的な見せ方をしていると思い込んでいた。狭く押し付けられた見せ方にがっかり。
秋吉台国際芸術村 ・・・・・・・・・・磯崎新 地元の大理石を使っていることで合点がいった。親切に案内してくれるのはありがたいが写真があまり撮れない・・
萩の街・・高杉晋作の生家等を散策  この町で軽く一日はかかってしまう密度の濃さ。街割を考えて歩くと、とても面白い。
松蔭神社   ・・・・・・・ご存知・・松下村塾がある。
津和野の町  ・・・・・・・あまりにインパクトの無さにびっくり・・

島根県芸術文化センター「グラントワ」 内藤廣 新鮮な構成は刺激的です。
浜田市世界こども美術館 ・・・・・・・高松伸 時間の流れからはとてもきれいに使われていました。
石見銀山 羅漢寺  時間が無く、ここだけしか見れなかった。前面が道路なのはいただけない。
出雲大社庁の舎 ・・・・・・・・・・菊竹清訓 昭和38年日本建築学会賞 Docomomo100
  やっと辿り着きました。見ることができました。変わらずにあり続けていただきたい。
出雲市古代出雲歴史博物館 ・・・・・・槙文彦 何を見たか記憶に無い。
大社文化プレイス ・・・・・・・・・・伊東豊雄 あれ・・
旧大社駅  外を見ていたら気がついたときには内部は鍵を掛けられてしまいました。

松江城   ・・・・・・・・・・・・・適度な規模は好感
小泉八雲記念館 他 ・・・以前に見たのですが・・こんなでしたっけ・・
田部美術館 ・・・・・・・・・・・・・菊竹清訓 小品に好感・きれいに使われています。
武家屋敷  ・・・・・・・・・・・・・同じく適度な規模は好感
島根県立美術館 ・・・・・・・・・・・菊竹清訓 時間の流れは辛いものを感じます。年はとりたくない。
玉造温泉 ゆーゆ ・・・・・・・・・・高松伸 大胆な構成に感心。風呂の配置は形と共に必然を見ました。とても贅沢に浸かれました。
和鋼博物館 ・・・・・・・・・・・・・宮脇檀 写真や実物を遠景で見たときは疑問でしたが、真直に見ると洗練されていると感じられました。こんな時代もありました。

植田正治写真美術館 ・・・・・・・・・高松伸 えー・・この規模を維持するのは大変ですね。とても天気が良かったので助かった建物でした。
とっとり花回廊 ・・・・・・・・・・・アーキテクトファイブ ??花は豪華です。施設は・・
国宝 投入堂  ・・歩いてきました。そんなに距離がないので険しさは苦になりません。
倉吉パークスクェア ・・・・・・・・・シーザーペリ 他 アトリウムばかりを見てきました。

津山洋学資料館 ・・木造の元銀行であるとのこと。精緻な造りに感心。また、この街道の町並みは時間を掛けて見る価値有り。
奈義現代美術館 ・・・・・・・・・・・磯崎新 リピーターはいるのでしょうか。使い切れていません。朽ちていくような気がします。早めの見学を推奨。
国宝 姫路城  ・・・・・・・・・・・インドのタージマハルに匹敵します。

今回はデータで36GB カットで12000を超えました。質より量がテーマであり時間の短縮には生がありません。毎日が日の高さと閉館の時間との競争でどこまで見れるかを思案する強迫観念に追いまくられました。施設は明るいうちは公開していてもらいたいものです。一日は短い。

どの施設も空いています。この時期でそのように感じたのですから、普段はどんなでしょう。渋滞も無く、想像の時間はほぼ満たすことができました。まあ満足・・・
 

(株)ツイン 建築DVD新譜のご案内

 投稿者:ツイン  投稿日:2008年 3月10日(月)13時50分5秒
  突然のメールで失礼いたします。
建築・デザイン関係のDVDを発売しております
株式会社ツインの荻野と申します。
貴ブログのコメント欄をお借りして、
弊社より3月発売の新譜DVDの
ご案内をさせていただきます。
ご迷惑な場合はお手数ですが削除してくださいませ。

●『偉大なるオブセッション:フランク・ロイド・ライト/建築と日本』
<世界各地の上映会で絶賛された、ライトと日本の深いつながりを綴った初のドキュメンタリー>
フランク・ロイド・ライトが日本に与えた影響と、彼が日本からいかに多大な影響を受けたのかを、
貴重な資料や未公開写真、そしてライト研究家、建築家たちのインタビューで探求するとともに、
遠藤新やアントニン・レーモンド、土浦亀城といった日本の弟子やライバルたちの業績も辿る。

3月28日DVD発売!
税込\4,935 TWDS-1003
監督、製作、撮影、編集:キャレン・セバンズ、森晃一
2005年/日本/本編130分/特典映像7分/ブックレット(7頁)

<発売元・お問い合わせ>
株式会社ツイン
〒530-0051 大阪市北区太融寺町2-21・1109
TEL:06-6361-5172  FAX:06-6361-5182
担当:荻野
 

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