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遠藤新の自己意識

 投稿者:mirutake  投稿日:2009年 6月 1日(月)23時01分12秒
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  「ライトのDNA」と称して遠藤新のひばりヶ丘自由学園の見学会があった。
初めてでもあり、いろいろおもしろかったが、最大の収穫は、ライト風という言い方に引っかかっている自由学園建物管理者と、自由学園の周りの住宅地でのライト風も含めて、ここにライト風の町ができていることをもっと積極的に評価したいと思っている、ライト風をメーカーハウスで遣っていた人、と言う遠藤新に於けるライト風のをどう受け止めて行くのかという問いの構図でした。

遠藤新は甲子園ホテル(1930)とかあるのだから、ライト風に造形することにマイナスイメージを持っていなかったと思う。もっと言えば、昭和初期の段階での建築家の個性というのは、その先生の辰野金吾が東京駅(1914)で、様式建築のまねをまだ一生懸命やってる段階なのだから、個性豊かな近代建築の巨匠=ライトの真似をやるのは、辰野よりはずっと進んだ段階にいると思っていたのだと思う。自分なりに少しライト風を変えたりして、十分個性を遣れていると思っていた時代と言うことではないか。

明治大正昭和初期と続く時代は、ヨーロッパからの10年遅れの表現(様式)の輸入の時代であったという、建築評論家藤井正一郎の指摘がすでに40年も前にある。輸入様式(輸入表現)が建築家達の先端の表現意識であり、個性であると思っていたと言うこと。そういう時代の制約の中に、建築家達の個性の発露があったと言うべきなのだ。それはいつの時代にも、どんなに現在が自由になったと見えても、個性は時代的な制約の中にあることを意味している。

蛇足を加えるなら、丹下健三が代々木屋内体育館を遣ったのが大変な個性の持ち主と思われているが、国際社会に日本がオリンピックという大舞台で国家の力を示さねばならぬと言う、大時代意識を発露せねばならぬと言う時代的な背景(宿命・限界)を抱えていたと言うことから見たら、自由な個性とはいえないと言うことでもあった。
建築家の自由な個性というのは、70年代に始まると言われている。伊東豊雄、長谷川逸子らに始まる、コルビュジェ=サボワ邸の壁構成による空間意識の成立に見る(越後島)ところから出発し直したと言われる。凝集された内部空間意識はここからの出発による。ここでもまた時代が建築家達によって、その時代時代の要請に応えてきた積み重ねによっているのであり、現在が自由な個性ということではなく、現在もまた時代制約の中に、日本の建築家達が、日本的と言うことを全く考えないで、日本の建築家が作るものだから日本的であり世界水準で在る(伊東豊雄と思う)という、建築グローバル化を迎えた時代ということになる。
個性(自己意識)というのは時代の制約の中にしかその大きさや、内容という質を実現しえない限界の中にあると言うことだと思う。現在が自由と言うことではないと思う。

だから遠藤新の時代の個性(自己意識)としての表現は、前段にも言ったが、個性豊かな近代建築家ライトの様式を踏襲する(真似る)ところにあり、と考えていたのだと思う。
そして遠藤新の独自の個性というのは、初等部食堂(1931)に見るように、瓦屋根を乗せた和小屋を組むところに、いくらそれが一番安い、当時としてはどこにでも在る一番得やすい仕様と見えても、ライト風を旨とする全体構成の中に選択して行くとき、それは遠藤新の一つの個性と言うしかない。なぜならその他の選択もあり得たのだし、瓦と和小屋もまた自由学園の様式として守られて行くのだから。

建築設計界にはどうしてもこの真似という言い方がトラウマになっていて、建築の創作活動における真似というのをうまく論理の中に引けないまま、密輸入という視点でマイナス評価しかできないところに今もあると思う。けれど時代の制約として真似ることが自己意識の発露としてあったことを確認して行こうと思う。
 
 
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