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  1. コスプレ衣装とコスプレウィッグの制作と販売(2)
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No Man’s Land

 投稿者:aibo2  投稿日:2010年 2月 1日(月)01時21分25秒
   表題のNo Man's Landを見てきた。2009年11月からの展示会で1月31日に終わるはずでの見学だったが、なんと2月18日まで延長されるとのこと...そんで書き込む気になった。
最終日を想定していたのか多くの見学者には驚きだった。時間調整を必要とする混みようで余裕を持つ時間を作らないと人により不快を感じるかもしれない。内部は狭く自己のペースを崩さないと浸りきれない。「待つ」「迂回する」「立ち止まる」「譲る」なんて普段やらないことをしてしまった。3時間以上の時をここに落とす必要がある。1957年からの建物との時なので長いことは無い。。。しかし、施錠の合図でこの場を去りました。

 私は、折角に見に行ったものは楽しさを見つけるようにしている。人に勧められるものはないかと、自分では気がつかない視点はないかと、つまらなくても「見せたい」ものはないかと、酷いものも見せたい...良い悪いは人それぞれで、見ること/体験することから始まる。

 No Man's Landは現代美術とやらに区分されるんですか?創作という「くくり」で良いと思いますが、その情念は確かに感じられました。大作は無いけど確かな手仕事は存在した。

 mirutake氏の最近の---展での感想は私には「行く気」を無くすことで実際にすべての展示会に行っていないことに気がついた。
 でも今回は展示のほかに存在が無くなる建物がある。人の手と建物の時間は楽しめた。

http://www.ambafrance-jp.org/spip.php?article3719

 
 

川越の街並

 投稿者:aibo2  投稿日:2010年 1月12日(火)23時52分28秒
   遅ればせながら、あけましておめでとうございます。

 近くに住んでいながら何度も見ているはずの川越の町を正月の名残りで見てみた。
改めて徒歩で見歩くと尋常でないものが多く見れてとても楽しめた。過去を知っていると町の再生の努力と意気込みは半端な思い込みを超えて見事に結実してきたなと感心した。素地として優れた遺産を継承していたのだが、継承と共に新たな街の創造も取り込みさらに楽しみが増えている様子だ。単独の再生でなく「通り」を活性化して回遊の楽しさを目指している。まだつながりが切れる面があるので今後も新たな変化が目指せるだろう。

 これはしばらく見続ける価値がある。
近代建築と合わせて古い街も見てきたけれど、全国的にも一級品の街の再生に成功した好例だと思った。

 ちょっぴり遅れた正月見学だったけれど松飾りはまだ残していて、華やかさを惜しんでいる景色で、数年前から東洋大学の学生の手伝いで「創作松飾り」を行っていたとのこと。
店舗ごとにデザインされた松飾りはより華やかさを醸していた。

 お勧めです。
 

ラグジュアリー展

 投稿者:mirutake  投稿日:2009年12月23日(水)23時35分24秒
  川久保怜のラグジュアリー東京都現代美術館展 見てきました。と言うより、妹島の展示見てきました。服飾については語るものがありません。コレクション歴史展示それなりに面白かったけど、貴族社会のそんなに派手でないものを集めているのかな?と言う感じでした。


妹島の展示補助部分ですが、現代服飾を多数展示。東京都現代美術館の吹き抜けの高い展示室が使われた。高い天井からワイヤーで服飾を無数につり下げ、浮き上がっているように展示される。一種空中に浮遊した感じでもある。服飾一転に2本のワイヤーで吊っている。わずかに服飾が行ったりきたりと回転している。これに妹島のやってきた曲線平面の開口部ガラス建築を、アクリル板の薄板で作ってショーケースにし、床に置いていると言うものでした。曲面によって服飾の囲み方が小さくしているみたいで、服飾に接近できるようになっているのですが、細部をよく眺めると言う感じでもないのです。入り口で女性監視員から、倒れやすいので注意してください(これが倒れるのか!と反証したいところでしたが、そうでもあるみたいでした。)アクリルの曲面に周りの御影石の白黒が写って見にくいとか、アクリルの曲面のレンズ効果や透明度の足りなさなどが服飾を見づらくしているように思えた。いくつものアクリルが重なるところを遠くを見てみると、その透明度のなさ、うす乳白色にさえ見える。何かが足りない。確かに美術館の展示ケースは、枠なしで、ガラスだけにしようとしているという進展から言ったら、ここは本当にアクリルだけになっているのだから、最先端であり、言うこと無いように思う。しかしそこが違うのだと思う。これだけ簡単にアクリル板を立ててしまうと、その仮設性ばかりが目立って、これで何をしたかったのかも見えてこないと思えた。
 たとえばこの服飾の配置だからこそ、服飾の重なりを見ることができる。この視線から眺めていると、素人にも簡単にあるテーマの視点が見えてくるという風にしてほしかったなー。残念ながら見渡すところで何か意味するのか秩序を見つけることはできませんでした。例えばこれに時間軸を意味させたりできなかったか。それは現状だとアクリルの不透明さが重なって見えているだけだ。そこでアクリル板上部に白いラインを付けたらどうか。幅50ミリくらいか?するとアクリルの曲面形がよく解ることになり、単にアクリルの重なりではなく、曲面の重なり、曲面ケースの重なりがよく体験できることになる。分けてもその50ミリの白いラインは、建物のスラブラインを象徴しているかのようになる。
帰りにカタログをのぞいてみると、どこを探しても妹島の名前が見えませんでした。どうしたのでしょうか。
服飾では、胸部分が大きく変形した形態になっているのがよく解りませんなーと言う感慨を抱きました。
 

バラガン邸をたずねる

 投稿者:mirutake  投稿日:2009年10月20日(火)23時51分0秒
  SANAAのバラカン展見てきましたが、ひどいと思いました。
2003年前に安藤忠雄の会場構成でバラカン展がありましたから、その次と言うことで、すごい期待していったのが良くなかったのかもしれませんが、今度はバラカン自邸の再現があるものと思って行きました。

建築空間とは壁で構成されたものを言うのだと思わされましたね。
会場にはバラカン邸の家具がセットされていて、雰囲気を作ろうとしているのですが、如何せん壁はワタリウムなのですから、無理というものです。こんな状態で、家具構成だけでバラカン邸の空間を演出できると考えることがおかしいと思います。いったいどうしたことなのでしょうか。


少しおかしな言い方かもしれませんが、抽象空間を作っているSANAAが、家具を持って意味させようと言うのが不思議でさえあったのです。なぜなら、SANAAとは均質空間を遣っているのではなく、意味する抽象空間を遣っているのですから。意味する抽象空間とは、抽象を目指す空間の作り方が、均質空間に行こうとすることを立ち止まって、均質では無名性に陥ることになり、集団のデザインになってしまうのだから。何とか踏みとどまる方法が、意味在る抽象空間と言うことになる。少なくも妹島和世はここにいると思っている。
それに対し、均質空間とは、意味させない空間であり、そこではそこに住む人とか、家具によって意味在る空間となすものだ。時代の多くの者は抽象空間を目指すとここに行ってしまうのが普通と言うことになる。抽象空間は脱色に向かってただ突き進むとき、そこに行くしかない物なのだ。
意味する抽象空間を目指しているはずの妹島が、家具によってバラカンの空間を作ろうとすることは錯覚と思う。建築は家具だけでは成り立たないのではないか?始めに言ったが、建築は壁によって空間あらしめる物だとしか思えないのだが。そこにある空間はどう見たってワタリウムとしか思えないのでのですが。

もう少ししゃべれるか。
妹島の傑作は表参道ディオールだが、あの外装カーテンウォールは均質空間だろう。けれどカーテン様のアクリル板で意味するものを付加した。そのことによって、建物全体のガラスカーテンウォールが、いままでにない透明感のある淡い白色の<濃淡>に包まれた。その白色の塔は、表参道の暗がりにひときわ光り輝くのであった。それはカーテンを=家具を建築化したのだ。あのカーテン様のアクリル曲面は妹島の物だ。意味する抽象と言うことだった。
 

海の博物館

 投稿者:aibo2  投稿日:2009年10月18日(日)00時45分34秒
  海の博物館は経営危機だそうです。とりあえず、本年はこのままらしく、でも何らかの対策なければ近い将来は、立ち行かなくなる。
館内/周辺はきれいに整備されていて、熊本にある県の「なんとかポリス」に比肩すれば施設そして展示物への愛情は格段に優れています。
3時間ほど現場にいましたが、見切れてないないと感じました。
実際の建物と展示物を是非にご覧ください。そして応援してあげてください。

http://mie.isewan.nikita.jp/?cid=44754

 

コルビュジェ展

 投稿者:mirutake  投稿日:2009年 8月11日(火)15時41分18秒
  国立西洋美術館に焦点を当てたコルビュジェ展見てきました。
例により展示内容は普通、地味。
3階の超狭い階段とか何時も行けないところを見せてくれるのではないか、と、つい想像してしまったもんだから余計がっかりしてしまった。
ですが、図面と、3dで竣工当時の建物を見せてくれてのは、特に3階のハイサイドライトにどれほど力を入れているのが解って、本当に良かった。自然光美術館を遣りたかったんだと言うことが良くわかった。

帰りパンフを買って、表紙を見ていると、入り口ハイサイドライトのある吹抜け=十時形の梁に付いている照明器具が全くないじゃないかと言うことに気付いた。そこですぐ思ったのは照明は下にある展示物に極小に当てて、壁や上部に当てちゃ駄目なんじゃないかという風に思ったのです。

それから家に帰って風呂に入っているときに気付きましたね。
このころのコルビジェはサボワ邸(1929)をとっくに終え、ロンシャン(1955)を終えた頃(1959)なんだから、劇的空間であり、劇的光と影でなければならないはずだと。上記のような照明にすれば自ずと全体は真っ暗な空間となり、ハイサイドライトからの光が、直射光が差すときには劇的となり、曇りとか天空光の時にはぼーっと明るい上部と言うことになるのだと。

現在から見れば、安藤忠雄の自然光美術館があるので、気が付いて見れば、西洋美術館も、神奈川近代美術館も、自然光美術館が本来の姿なのだと。現在の美術館の主流が、均質空間だから、自然光なんて全く役に立たないお荷物でしかないと思われている。コルビュジェの空間に対する尊敬の念が全くないのだと感じたのでした。
1,だから3階の自然光装置室を見せようという気概がない。
2,だから入り口の吹き抜け空間をコルビジェの照明のままにする気も想像力もない。
3,だから新館と接続するときに、本館と明らかに違う場所に行くという=本館というコルビュジェに対する敬いがない。たとえばガラスの箱通路にして、本館の外壁がはっきり見え、あー本館から出るのだと言う体感が明快であるようにするとか。
4,何時も行けない所すべて行ける、そして特に屋上に行けるようにしよう。日曜に行われている館体験ツアーで良いから。ここまで遣らないとコルビュジェの空間体験にならない。

要はモネとかルノワールとかの均質空調を必要とする絵画は止めて、彫刻や現代美術や、コルビュジェ美術館にするしかないと言うことだと思う。

世界遺産にしたいならこのくらいのことシナイと駄目なんじゃない。


安藤忠雄とか、伊東豊雄とか、コルに尊敬と想像の源泉をもらった超有名建築家が、しかも老後に彼らの熱心な発言を待ってしか出来ないんじゃないかと思ってしまった次第でした。
 

坂倉準三展

 投稿者:mirutake  投稿日:2009年 8月11日(火)15時28分22秒
編集済
  kayoさん書き込みありがとう。
お役に立ててうれしいです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
鎌倉 坂倉準三展行ってきました。
この建築家は良くわからないなーと、何となく思っていましたが、今回良くつかむことが出来ました。
毎日遣っているのか解りませんが、学芸員の方が3時半から解説をしてくれるというので、其れに付いて1時間半あまり、大変詳細な解説を聞くことが出来ました。若い女性の方で、建築について深い理解を持っていると感じました。他の建築家とか、研究者の見解も真摯に話して頂けて、理解にとって大変な情報となりました。
 

はじめまして。

 投稿者:kayo  投稿日:2009年 7月28日(火)16時35分31秒
  目黒区庁舎のページを拝見して感動いたしました。
なかなか本などでも見られない写真ばかりでした。
まるで教会のような雰囲気の内部ですね。
保存されていることがほんとうにうれしいです。
ありがとうございます。

http://blogs.yahoo.co.jp/kay31527

 

ヴォーリス

 投稿者:mirutake  投稿日:2009年 6月21日(日)00時56分56秒
  ヴォーリス展見てきました。
写真も小さいし、見せ場のポイントを作ってないし、小粒の建築家と言うことにしても、展示が良くなかったです。写真の焼きが悪くて、パンフの方がやはり印刷ですので注意して焼いています。
特にコルビジェ展から始まった実物展示が、今回もあったのですが、ポイントが押さえられておらず、がっかりでした。
それはヴォーリスの別荘なんですが、外壁の下見板張りが柱の面落ちで張られ、柱が縦に見えていて、実物ではあり得ない状態でした。
内部は床板が現在のきれいに仕上げたフローリングのようで、つるつるで、壁の仕上げなし薄板とあまりに材質感が違いすぎて、どうしてこういう時代考証なのか理解に苦しみます。また2段ベットの作りもあり得ない簡易工事で、これは私の日曜大工仕事でしょう、と言うものでした。これは大工ではなく、舞台の大道具さんの仕様じゃないですかね。
また内壁は縦の羽目板の押さえ縁が目地からずれていたり、付鴨居(内法材)の上と下で縦押え縁が大きくずれていたり、これは写真を見るとどうも現場がそうなっているようでしたが。
おまけに天井が一部しか付いていなくて、美術館の会場の天井になっているという中途半端なもの。これではせっかくの木造小部屋の空間感覚が味わえないのでした。どうしてこんな中途半端なことしているんでしょう、理解に苦しむ。

もっともひどかったのは、「ヴォーリスの階段」でした。
ヴォーリスが優しい配慮で、踏み面の深い、滑らない材質と、柔らかく握りやすい手すり、と解説にはあるのですが、そこにある4段くらいの階段は「移設」したものではなく、現在の設計の階段なのです。踏み面はニードルパンチカーペット、手すりは50角位の角パイプに塗装ですよ、これがなんで「ヴォーリス」の階段なんですか。実物を「移設」または「再現」しない限り「ヴォーリス」の階段ではないでしょ。それは現在の技術の蹴上げ踏み面の上りやすい階段でしかないんですよ。
かつて実物模型の走り、コルビュジェ展でユニテ・ダビタシオンのワンユニットを再現したとき、階段は移設で持ってきたと言っておりました。その鉄梁の三角断面や踏み心地は本物なのだからすばらしい体験でした。こういう本格的な配慮がないのですよ。あまりに安易です。

会場の最後にカタログの方が写真の焼きも良く、内部の小屋組などよく見えるものでしたので、購入してきました。
1908年(28)から1946年(66)頃まで活躍したのでした。
様式の建築から近代初期の装飾の時代を生きた人と読みました。その時代なりのスタイルを素直になぞってきたという作風と感じました。

神戸女学院1933(53)図書館2階の閲覧室の装飾をじっと見ていると、可愛らしく見えていたものが、ぞっとしてきそうでした。やっぱりチャペルの彫りの深いアーチから光が差してきているのがすばらしいですね。同じようなデザインのチャペルを何回か遣っていて、これが一番光の差し方が劇的です。
大丸大阪心斎橋店1933(53)のアールデコのエレベーターホールの堀の深さも、装飾を取ればチェコキュビスムに通じるものを感じました。
大同生命ビルディング1925(45)の螺旋階段の石張り手摺りもきれいです。これはとても急な階段ですが。
 

遠藤新の自己意識

 投稿者:mirutake  投稿日:2009年 6月 1日(月)23時01分12秒
  「ライトのDNA」と称して遠藤新のひばりヶ丘自由学園の見学会があった。
初めてでもあり、いろいろおもしろかったが、最大の収穫は、ライト風という言い方に引っかかっている自由学園建物管理者と、自由学園の周りの住宅地でのライト風も含めて、ここにライト風の町ができていることをもっと積極的に評価したいと思っている、ライト風をメーカーハウスで遣っていた人、と言う遠藤新に於けるライト風のをどう受け止めて行くのかという問いの構図でした。

遠藤新は甲子園ホテル(1930)とかあるのだから、ライト風に造形することにマイナスイメージを持っていなかったと思う。もっと言えば、昭和初期の段階での建築家の個性というのは、その先生の辰野金吾が東京駅(1914)で、様式建築のまねをまだ一生懸命やってる段階なのだから、個性豊かな近代建築の巨匠=ライトの真似をやるのは、辰野よりはずっと進んだ段階にいると思っていたのだと思う。自分なりに少しライト風を変えたりして、十分個性を遣れていると思っていた時代と言うことではないか。

明治大正昭和初期と続く時代は、ヨーロッパからの10年遅れの表現(様式)の輸入の時代であったという、建築評論家藤井正一郎の指摘がすでに40年も前にある。輸入様式(輸入表現)が建築家達の先端の表現意識であり、個性であると思っていたと言うこと。そういう時代の制約の中に、建築家達の個性の発露があったと言うべきなのだ。それはいつの時代にも、どんなに現在が自由になったと見えても、個性は時代的な制約の中にあることを意味している。

蛇足を加えるなら、丹下健三が代々木屋内体育館を遣ったのが大変な個性の持ち主と思われているが、国際社会に日本がオリンピックという大舞台で国家の力を示さねばならぬと言う、大時代意識を発露せねばならぬと言う時代的な背景(宿命・限界)を抱えていたと言うことから見たら、自由な個性とはいえないと言うことでもあった。
建築家の自由な個性というのは、70年代に始まると言われている。伊東豊雄、長谷川逸子らに始まる、コルビュジェ=サボワ邸の壁構成による空間意識の成立に見る(越後島)ところから出発し直したと言われる。凝集された内部空間意識はここからの出発による。ここでもまた時代が建築家達によって、その時代時代の要請に応えてきた積み重ねによっているのであり、現在が自由な個性ということではなく、現在もまた時代制約の中に、日本の建築家達が、日本的と言うことを全く考えないで、日本の建築家が作るものだから日本的であり世界水準で在る(伊東豊雄と思う)という、建築グローバル化を迎えた時代ということになる。
個性(自己意識)というのは時代の制約の中にしかその大きさや、内容という質を実現しえない限界の中にあると言うことだと思う。現在が自由と言うことではないと思う。

だから遠藤新の時代の個性(自己意識)としての表現は、前段にも言ったが、個性豊かな近代建築家ライトの様式を踏襲する(真似る)ところにあり、と考えていたのだと思う。
そして遠藤新の独自の個性というのは、初等部食堂(1931)に見るように、瓦屋根を乗せた和小屋を組むところに、いくらそれが一番安い、当時としてはどこにでも在る一番得やすい仕様と見えても、ライト風を旨とする全体構成の中に選択して行くとき、それは遠藤新の一つの個性と言うしかない。なぜならその他の選択もあり得たのだし、瓦と和小屋もまた自由学園の様式として守られて行くのだから。

建築設計界にはどうしてもこの真似という言い方がトラウマになっていて、建築の創作活動における真似というのをうまく論理の中に引けないまま、密輸入という視点でマイナス評価しかできないところに今もあると思う。けれど時代の制約として真似ることが自己意識の発露としてあったことを確認して行こうと思う。
 

(無題)

 投稿者:山本 紀子  投稿日:2009年 5月10日(日)18時47分25秒
  山本 紀子▽★
☆★☆━━━━━━━━━━━━━━━━━☆★☆
 

茅野市民館

 投稿者:seqメール  投稿日:2009年 3月13日(金)23時20分24秒
  はじめまして。茅野市民館のことを調べていて、寄らせて頂きました。
写真等でこの建築のユニークさがよくわかりました。
茅野市のロケーションを、たいへん大事にした建築なんですね。
ありがとうございました。seq

http://seqtaxus.exblog.jp/

 

世田谷区民会館追加

 投稿者:mirutake  投稿日:2009年 3月 2日(月)02時22分10秒
  世田谷区民会館の内部写真が撮れなかったので、新建築195907から転載追加しました。「けんちく探訪」群馬音楽センターの「折板」の続きの意味があるので、文でも取り上げました。

前川さんの「柱梁構成のデザイン(寝殿造り?)」から、壁に意味を見出すところ、そしてレンガタイルの完全な壁構成に移っていった、それは時代の変遷でもあったが見えてきたように思えました。

柱梁構成のデザインと言うのは逓信スタイルの丸柱角梁に壁を付けてるから、丹下の旧東京都庁舎や香川県庁舎の柱梁構成、林昌二の旧掛川庁舎、谷口吉郎の東京国立博物館東洋館等のことで、日本建築の寝殿造りから来ている気がする。折板壁で何かできるという追求は多くの建築家が臨んでいたわけで、これと同じように柱梁構成でも何かできるという追求を建築家達がしていたと言うことを感じた。

ただしこの日本的なもののコンクリートの追求があっために、また日本の建築家が世界性の表現を日本的な物に求めために、西洋近代建築が壁構成として始まったのに、日本の建築家が壁に行くのが遅れてしまったと言うことではないかと気付いたのだが。

現代建築の冒険  中公新書 「形」で考える 日本1930-2000   越後島 研一著

この本で著者は日本的な横に外部に広がる内部空間をやっていたから、70年代からサボワ邸のような内部に包まれた空間意識をやり直し始めたんだと言うことを言っていて、同じことのように思えたのだが。
 

明治村の「帝国ホテル」について

 投稿者:aibo2  投稿日:2008年12月17日(水)15時04分8秒
   明治村の「帝国ホテル」を公開してしまったのですね!!・うーむっ・激写資料としてはふさわしく感じませんでした。
岐阜の駅前の宿で前日から泊まって、帰る日の時間で明治村に向かいました。全体で4時間半ほどは居たことになります。最初に帝国ホテル(入り口のすぐでした)だったので快調に見始めたのですが、面白さが見えてこない。枚数を重ねるごとに迷いが増えて来るのが感じられる。濃いディテールや破綻詳細の建物は目が廻るくらい方向性を失い収拾がつかない。でも、ここでは濃い方向のディテールであろうはずなのに、時間が経つほど意欲が減っていくのを感じる。260カット程度を得たのに留まり、満足に程遠く<もやもや>感は気持ち悪く感じた。ここより前に「瞑想の森」に立ち寄ったが、そこでは3倍の量のカット数となっていた。ここでは比較すればパーツの濃さと素材の豊富さでは相当の枚数は予想出来るはずだった。

まあ、「見た・撮った?」というところで、他の施設も見ておこうで移動した。他の施設も興味は沸くがどこかで覚めていくのはどうしたものか。現地では気づかなかったが、あとであのライトの「帝国ホテル」が本物としてそこに存在するという妄想から離れられなかった。・・(そうだ)・・その過渡の期待は移転した時に壊れてしまったのだろう。
 特に建物の中に入ると違和感を得た。
天井・・・ボード?・プレーンな白??・床・・・薄いタイルカーペットしかも赤。タイルの床?・・・あれれ・・木のフローリング??割付は??・・隙間の開いた彫刻のモールディング?この程度?・フロントの設えと扱いは無いでしょうよ(物置扱い)。何がオリジナルでどこを変えたのか・・すべてが薄っぺらに見えてくる。石自体もコンクリートか準ずるものを使っている。後で、過去の写真と比較するけど、どこまでをオリジナルとするのか??・・・そんなことよりも・・・

真面目にこの施設を受け入れようとしたのが間違いであった。それはそうで、これだけのものを移設し組み立て、かつ、維持していくのだ。調達出来ずに素材の代替品だったり経済事情で安い材料になることもある・取りあえずの用立てもある。だからこそ、そのことを明確に判るようにすべきでしょう(当時の写真が併設してあり、判るようにはなっていたようだけれど混乱して再構成ができなかった・それほどの奇妙さ)。違和感はそこにある。他の施設もすべてそうで「重文」という「お触れ」がある建物なんて、どうなのかなあ・・・・?「重文」の建物に警備用の配線を<堂々と>展示をして戴けていた(努力したぁ?)。

大きな勘違いの幻想は、移転してしまった段階で、そこにはそれぞれの歴史を持った原寸大の模型なのだと認識しないと無理が発生するのだと、帰ってからしばらくして気づいた。移転保存というのは以前からどんなものかと考えていたけど極力避けられないものだろうか。移設だったとしても縁も所縁も無い土地には置いて欲しくないよね。
最古の木造建築・奈良の法隆寺だって千数百年という時を経たとしても部材は残っていてもほとんどは後世に部材は取り替えられている。どこまでがオリジナルなのかは飽くまで継承と推察でしかない。肝心なのはその土地に必要とされて根付いて、変わる記憶を留める努力をされて生き続ける建物なのだろう。そこにあるから貴重なのだ。

明治村の「帝国ホテル」は空間を実体験する施設(他もそうだが)で、ディテール自体も余り近寄らないで構成が判る距離で鑑賞に留める程度にしたほうが無理ないのではないかと思えた。奇しくも、mirutake氏は住吉の長屋を話題にしていた、これと同じ程度の体験を得られると思えば良かったのだ。写真を撮ることよりも空間の実体験の場として優先してその上で写真を撮っていれば違和感はなかったのだろう。

これまで、色々な建物を見てきているが、特に美術館・博物館という施設は一般の方々は目的地に着いたら一直線に発券場に向かい<そそくさ>と内部に入っていく。そして<鑑賞・見学>が終わったら、振り返りもせず<そそくさ>と帰って行く。建物に興味を向ける余裕も良否も批判もそこにはほとんど無い。そのような小文化の中では見せるということを与えられた明治村といった博物館施設で始めて建物を<見て・体験>する対象なのだと経験することになる。身近な建物ですら経験することも無いところでこのような難しい建物を見ることで身近な建物に意味合いを持って視線を戻すことが出来るのかな。

本年(2008年)も残り少なくなりました。「けんちく探訪」「けんちく激写資料室」は当初から10年は経っていませんか。最初がよく判りませんが、そうならば継続・更新されていることに改めて敬意を表します。「けんちく激写資料室」はカウンターを見ると地味に10万を超えそうですけど年内は無理みたいですね。動きを時折見ると休日よりも平日の方がより多く廻っている印象があり、推測ですが仕事寄りの鑑賞に使われているような気がします。ここのところ、けんちく体験には新しい動きを見かける。「セカンドライフ」「Photosynth」・「グーグルのストリートビュー」といった疑似体験の構築方法だ。いずれも鑑賞に堪えられるレベルとなると実際には相当な手間隙を要したり・別世界の技術に入り込むのだろう。今は単なる大量の写真の公開であっても費用と時間は遊びとしては贅沢で忍耐を要すものだ。今後10年という時では、どんなことになっているだろうか。私自身はそれらを少し念頭に置いて、今後はそんなに長くはないけんちく鑑賞巡りでどんな物が記録できるかという想い、また、一年が過ぎます!?
 

「安藤忠雄建築展」

 投稿者:*  投稿日:2008年12月 8日(月)01時42分48秒
  住吉の長屋実大模型写真。  

感想

 投稿者:mirutake  投稿日:2008年12月 6日(土)02時40分9秒
  ギャラリー間 安藤忠雄展 行ってきました。
そう住吉の長屋(独立住宅)の実大模型を見に行きました。
かつて20年前に感想文で取り上げました。中庭というこの規模では得られないものを通路が外部でも良いと見なせるなら、得られると考えた。計画の白眉だと。その後多くの建築に、住宅に、影響を与えたことか。
今考えてもこの思いは変わらない。この実大模型を見て、こりゃーすざまじいなーと、そのすごさに改めて感じたものでした。

入口前に立つと、あーやっぱり玄関の彫り込みは小さいんだなーと感じ、打放しコンクリートの感じはあまり感じないまま早く内部をみたいと入ってゆく。
オーえらいところに作ったもんだ。これ敷居のカバーがじゃまになってよく感じれないが、玄関居間はめちゃ狭いなー。こんなに狭いんだ。図面じゃここまで狭いとは感じなかった。(7.4畳しかないんだよ。)中庭を見ると余計その比率が解る。圧倒的に中庭の比重が大きいことが実感されてしまって、この計画意識は、すざまじいなー、と思わずにはいられません。

中庭に入り上を見上げると光があふれています。こういう感じか。これはきっと現場の感じに近いんだろうなー、と思う。この光の庭を何よりも得たかったのか。独立住宅の本懐は庭だもんなー。庭がないのは住宅じゃないのだよ。
階段は上れないのか。ブリッジがコンクリートではなく、合板製じゃの上れないだろうなー。みんなで上がったら床が抜けるなー。手摺りのない階段はやはりすっきりしているなー。
食堂台所も狭いな。やれないことはないんだろうけど、それにしても収納というものが全くないのだ。近所に物置用に部屋を借りてるんじゃないか、とさえ思える。住んでいる人もすさまじいなー。
2階は一度外に出てから、住居の外側から見るようになっているが、展示室の階高の関係で、視点が高くなってしまっていた。視覚としてはこういうことだろうが、やっぱりあのデッキに上がれないと、あの上で空を満喫して、得難いものが得られたのか、実感したいところでした。

やはり2階もあがれて、住宅の全体を歩き回らないと、こんな感想で終わっちゃうなー。

勿論このような企画の意義は大きいと思います。続いて有名住宅を再現してもらえることを期待したいですね。
明治村のような所で、有名住宅の再現があっても良いんじゃないでしょうか。

          20081203

フランク・ロイド・ライトの帝国ホテルをアップしました。
これだけアップの写真を見せられると、すごいなー、ここまで建築家が大谷石に彫り込む模様を、原寸図で書き込んでいったのか!と感嘆するばかりです。遠藤新も書いたのでしょうが。石の模様に目を奪われるばかりですが、この天井が白い漆喰(ボードペンキかもしれませんが)であることが近代であることを決定しています。そこから空間構成に意識が行きます。

低い天井高さの玄関から、三層吹抜けのホールとなっていて、それぞれの階で外光の入り方が違うので、明るさが違っており、複雑さを感じさせます。それは正面と背後の三層の通路だけでなく、いろんな空間の抜けがあるようです。実物を見ていないのでどうなっているのか。この劇的空間の展開を目指したことは容易に感じられます。この体験だけでもかなり面白いと感じさせるのですが、この向こうに大食堂があって、もっと劇的空間の展開があるだと言うことなのです。そこまで残さなきゃ駄目なんじゃないの、と言うことなんでしょうね。現場を撮っている人が盛んにいってました。なんか面白くないんだよね。なんか違うじゃねーか思いながら、なかなか撮影枚数が進まないんだ、と言うことでした。これだけ撮ってきてくれれば鑑賞者としては満足で、それでも是非行ってみたい物件になりました。

光の柱は夜間の方がめっちゃおも白いはずと思いました。
 

現代建築の意味を求めて

 投稿者:mirutake  投稿日:2008年11月 8日(土)18時03分56秒
  karazさん いつものように、大変遅くなりました。

現代建築の原点から説明してゆくのが解りやすくなる考えましたので、モダニズム建築の起こりから「簡単」に説明します。
1900年代に始まる建築の美の考え方で、工場生産が始まったこと、コンクリートや鉄という新しい構造が登場したことに呼応して、時代にあった建築を創造してゆこうと始まりました。これ以前はここで話題になりました宗教建築や、公共の施設は様式(歴史)建築と言われるものです。ゴシック建築とか、折衷様式とか、新古典主義様式と呼ばれるものでした。新しい建築の動きはそれらの「様式」建築から「装飾」を取ったところで建築の美を考えてゆこうとするものです。それは面構成による建築とか、幾何学形態による建築とか、私の言い方ですと「絵画になりたかった建築」と言うものです。

様式(歴史)建築には装飾がつきものです。これを「止めた」建築の要素を、面の構成によって美が成り立つのではないか、こういうところから始まっていますので、現在でも装飾を付けて建築を創ることが、建築の先端の美意識からは安易な方法として=避けたところで成立する美を見つけようとしているのです。でもモダニズム建築も100年もやっていますから、理念の限りで創作を切り開いていくことに疲れてきていて、建築のデザインが安易に装飾的に走ることが普通に見られるようになってしまっています。いつでもそうなのでしょうが、先端の建築家によるしかないと言う困難なところを書いています。ですから「けんちく探訪」では先端の建築をメインに鑑賞してゆく場と言うことになっています。

現在の宗教建築にあっても、歴史的なものから特別な意味というものを持って造られているでしょう。けれど「けんちく探訪」と言うこの場は、現代建築デザインの在り方に向かってだけ評価される。そして宗教建築が現在に伝える高貴な空間「小聖堂」を体験したいと、そのために行きました。

モダニズム建築にとって、このように装飾というのはマイナスに特別な意味があります。単純なのに密度の高い空間を求めているということでしょうか。
けんちく探訪では抽象(モダニズム)建築が単純な幾何学形態から、その抽象性の意味を求めて格闘していると言うところまで書かれています。
 

探訪を拝見しました

 投稿者:karaz  投稿日:2008年10月 8日(水)18時26分3秒
  はじめまして。
色々な建築物の写真、楽しく拝見させて頂きました。

ただ、聖イグナチオ教会について、1つだけ。
掲載されてから時間も経っているので、既にご存知かもしれませんが、
天井の花は、単なる装飾ではなく、薔薇窓です。
カトリックの教会では、ごく一般的なもので、また宗教的な意味合いを含んだものでもあります。意味合いをお知りになれば、天井にある理由、花である理由もお分かりになるのではないかと思います。
差し出がましいとは思いますが、一言申し上げさせていただきました。
 

十和田・再び

 投稿者:aibo2  投稿日:2008年 9月10日(水)23時02分41秒
  新潟県新発田でレーモンドの教会を見てきた。狭い判りづらい路地の奥に見つけた。引きの取りにくい敷地でいっぱいの角度で全貌を捕らえられないかいろいろ試した。ただ、周囲とは不釣り合いに、正面は思い切り開けている。広い道路をほんの数メートルのところで構築中であった。教会は基部をレンガ積みとし、上部を木造で架構は丸太材を金物で固定するものだった。道路は15m程はあろうかそれぞれ一車線と歩道は整備されるのだろう。直に直面するであろう、道路の振動は建物にどんな刺激を与えるのだろう。計画には反対があったようだが実行されてしまった。

この夏は新潟・山形・秋田・青森と昨年に取りこぼしたところを拾っていくルートを考えた。
雪のまちみらい館・・・・青木淳/1999
カトリック新発田教会・・アントニン・レイモンド/1966/8
関川宿 渡邊邸・・・・・・国指定重要文化財-近くに関川村歴史資料館/香山壽夫を見るも時間の調整に失敗し再来を記す。
寒河江市役所・・・・・・黒川紀章/1967-出雲の庁舎で見たテンション材と同じ物でしょうか?まだまだ現役でいてください。
金山町火葬場・・・・・・益子義弘/1995
金山町立明安小学校・・・小沢明/2002-良い物が見ることができました。
秋乃宮博物館・・・・・・情熱の油谷コレクション/必見
秋の宮温泉_稲住温泉・・白井晟一/一泊することができました。地震の影響はありません。
栗駒の地震後・・・・岩手・宮城内陸地震のその後を体感。大きく揺れたなと各所に見られました。
角館の町並み・・・・武家屋敷。大村美術館/大江匡を見るも「「お仕着せの無愛想な注意書きに立腹でほとんど無視」」注意書きを写真に撮ってくれば良かったな。
角館伝承館・・・・・・・大江宏/1978---?
乳頭温泉_黒湯温泉・・・湯治場/開湯は延宝2年(1674年)頃/湯はすばらしい
JR田沢湖駅・・・・・・・坂茂/1997-設計の混迷はJRに?
康楽館・・・国指定重要文化財/日本最古の木造芝居小屋/1910-大雨の中で外観のみを見る。栄華の継続を再来としよう。
酸ヶ湯温泉・・・湯治場/名物は千人風呂/1684年(貞享元年)の開湯/建物と千人風呂の巨大さに別世界を見た。
十和田市現代美術館・・・西沢立衛/2008-今後の展開を期待。まずはこの冬の雪は・・

結果的には5泊6日でテントは2泊・宿3泊とした。後半は逃げ道のない雨模様が予想され早々と宿手配で温泉三昧に浸ろうと決め込んだ。

この地方は、建物を見て回るにはそれぞれの距離が遠く、走りと景観の比重を重くしないと1日の調整が難しい。唯一、雨に阻まれ「康楽館」は、見るというより通過するしかすべがなかったことを除くと想定のルートをこなせた。その後に続く大雨のはしりにぶつかりブナ林の景観を楽しむというテーマも大「雨」までは想定できなかった。とはいえ、奥入瀬での底から突き上げるような川の濁流と穏やかな川のように変化した道路を走行する「予定」には組み込めないが、「予定」できないからの経験は、雨でも濃いブナ林の緑と共に忘れられない。紅葉の時期に来たいものだ。

  福生市庁舎は、いつの間にか文章が増えている。村野藤吾的というのは同意・・いつも見慣れている赤いカラコンは「芝の養生」という「決まりのない名目」の犠牲でさらされている。次は、簡易な柵の登場となるのかなあ?内部については、実際に見てみないと判りませんねえ・・平日がより良いとなると行くのは難しいですね。
 グラントワもホールのホワイエの吹き抜けとホールの巨大なコンクリートの固まりのボリュームは私には写真では表現できません。どのように撮ったら良いかを思考してみましたが再現とは、ほど遠い。見てきた本人で撮った本人でも、これは違うと言ってしまうほどだ。・・・・ぜひご自身でご覧下さい。また、ホールの内部は見ることが出来ませんでした。どなたか多量な写真で再現してもらえませんでしょうか。現場監理と施工は相当大変だったでしょうね。

 大きなボリュームはグーグルのストリートビューのような技術やケンプラッツで副都心線渋谷駅で「グルグル」を掲載していたが、同様なことであれば、再現できるかなと思う。とわいえ、それ相当の撮影の時間とその後の時間とは必要になってしまう。でもこれはと思うものは意識していこうかな。でも、三脚とか使うことになるし・・・・気楽に撮れなくなる・・・・うーん・・
 

グラントワ

 投稿者:とも  投稿日:2008年 9月 8日(月)01時06分49秒
  グラントワの写真がアップされましたね。
僕もこの建築は見学に行きました。「新建築」で見ると、小さな町にこれほど巨大な建築が!とびっくりするぐらいですが、実際に行ってみると、それほどの巨大さを感じることはなく、分棟式にしたことが生きているように思いました。

内藤廣氏の建築の中でもこの建築はトップクラスに良い建築だと思います。この地域の瓦を使いながら、単純な屋根に使うだけでなく、外装材のカーテンウォールとしたところは、地域の潜在的な材料・工法を用いながら、次世代につながっている、そんな印象を受けました。

しかもこの建築の素晴らしいところは、材料・工法を用いながらそれが美的レベルに到達しているところだと思います。天候や太陽の角度、みる人の位置が変化するにつれて表情を変えるその外装材は、他の建築では経験できない「ここだけの価値」を持っているように思いました。

後はここの関係者・利用者がこの建築を活き活きと使ってくれることを祈るだけです。

http://blog.livedoor.jp/sttts/

 

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